砂川 隆ストーリー:お仏壇と祭り屋台に囲まれ、繋いできた「家族の物語」In his own story
1. 職人の息遣いが「日常」だったあの日
私の生まれ育った家は、今の店そのものです。 子供の頃の私にとって、職場は「通り道」でした。当たり前のように祭り屋台や仏壇の作業の傍らを「いってきます」「ただいま」と通り抜け、夕方になれば「おじいちゃん、ごはんやでぇ」と呼びに行く。生活のすぐ隣に、常に職人の世界がありました。
夏の夜、店の前の路地を走り回る私たちを照らしていたのは、父や祖父が夜なべ仕事をする明かりでした。風呂は中学に上がるまで薪で焚くタイプ。仕事柄、木材が豊富にあったからでしょうね。そんな環境のおかげか、昔から工作が大好きで、通知表の図工や技術はずっと最高評価。父の道具を借りては、無我夢中で何かを作っている子供でした。
父や祖父の真似をして勝手に木材を使って工作するの大好きでした
2.「ぼくがしないと、終わってしまう」
私は次男です。しかし、兄が早い段階で「家の仕事は継がない」と口にした時、子供心に強く思いました。「ぼくがしないと、この仕事が終わってしまう」と。
幼い頃は当たり前だと思っていた「家に大きな祭り屋台(やったい)がある風景」が、実はとても特殊で、尊いものだと気づき始めたのもその頃です。
「これは大事に受け継いでいかなければならない」――その決意のまま、私は職人の道を歩み始めました。正直に言えば、祭り屋台のない仏壇店だけなら、継いでいなかったかもしれません。それほどまでに、この伝統の技に魅了されていたのです。
いつか自分が父の仕事を引き継がなければならなにと心の奥底でメラメラ燃える何かがありました。
3. 自由な旅を経て、父のもとへ
友人と日々楽しく過ごした高校時代、そしてバイクでの日本一周やスキー三昧に明け暮れた大学時代。寛大な両親のおかげで、社会人ではできないような経験を存分にさせてもらいました。その自由な時間があったからこそ、納得して職人の世界へ飛び込むことができたのだと感謝しています。
平成7年、大学卒業とともに父のもとで修行に入りました。以来、慌ただしくも幸せな職人人生を歩み、気づけば自分の子供たちも成人しました。
「砂川さんに頼んでよかった。これでまた、毎日自信を持って手を合わせられます」その言葉を励みに日々精進しております!
4. 一番大切にしたいのは「人の役に立つこと」
子育てが一段落した今、改めて一番大切に思うのは「人の役に立ちたい」ということです。 砂川仏檀店のモットーである『近道をしない仕事』には、手軽さや合理性ばかりを追う現代の物造りへの、私なりの挑戦が込められています。手間がかかっても逃げず、伝統工芸の技で自分に何ができるか。心を込めた「温かい物造り」で、お客様に幸せを届けたい。それが私の願いです。
お仏壇だけでなく、些細な事でも人に役に立ちたいです!
5.未来へ続くバトン
先日、嬉しいことがありました。来年大学を卒業する息子が「仕事を継ぎたい」と言ってくれたのです。実現すれば五代目となります。
この伝統ある仕事が、そしてお客様との絆が未来へ続くように。 これからも「近道をしない仕事」を一所懸命に続けてまいります。
幼少期から父の仕事をずっと見ていました!大学に入ってからはいずれ父の仕事をやってみたいと考えるようになりました。
6.創業の心、そして次の百年へ
初代・重蔵から受け継いだ、職人の意地
最近、創業当時の写真が見つかりました。そこに写っていたのは、明治四十年にこの道を切り拓いた初代・砂川重蔵の姿です。
私たちが今、当たり前のように「天然漆」を使い、「刷毛塗り」にこだわることができるのは、初代から脈々と受け継がれてきた「近道をしない仕事」という教えがあったからです。
時代は変わっても、お仏壇に込める「家族を想う心」は変わりません。先代たちが守り抜いてきたこの技術を、今度は私が責任を持って、次の世代へと繋いでいく。それが、四代目としての私の使命です。
写真の裏に"明治39年6月 25歳"と記載がありました!この翌年明治40年8月に26歳で仏壇店を開業(暖簾分け)しています
■お仏壇の小さなお困りごとも、遠慮なくご相談ください
「電球が切れたけれど、どこに頼めばいいか分からない」「お部屋の模様替えで少しだけ移動させたい」といった小さなお悩みも、砂川仏檀店は喜んで承ります。
お仏壇の処分や、お引越しに伴うご移動なども、職人の手で丁寧に対応いたします。
私たちは「近道をしない仕事」を信条に、お客様の暮らしに寄り添い、お仏壇に関するあらゆる不安を解消する良きパートナーでありたいと願っています。どんな些細なことでも、まずはお気軽にお声がけください。
